調査資料の保存と活用について
開設時の調査資料とアーカイヴ化
今昔館の常設展示(9階の再現町並み・8階の模型・ジオラマ)、そして音声・映像などの環境演出は、それぞれ綿密な調査と研究に基づいて作られました。この調査と研究には、開設準備を進めていたスタッフのほか、大勢の専門家が参加しました。市内外の古い建物や通り・路地の調査、文献資料・絵画資料の調査等、さまざまな調査による資料が今昔館に残され、再現・制作の学術的な根拠資料になっています。
今回、こうした調査資料を系統だててアーカイヴ化していくことになりました。アーカイヴ化の目的は、資料を適切に保管することに加えて、将来的な活用の基盤を作ることです。具体的には、学術資料としての活用だけでなく、再現町並みや模型・ジオラマ制作の細部に込められた意味をより深く掘り下げ、展示とその体験・理解を深めるメディアを充実させていくことが期待されます。
資料の形態は、文書・刊行物、会議資料・図面、それに実測図・聞き取りの記録などのいわゆる紙もの、写真(焼き付け・ネガ)、録音・録画など様々です。中性紙の保管ケースに移すなど、形態に応じて保管環境を整え、長期の保管が難しいものは、適宜デジタル化を進めます。また、一部はテキスト化を行って活用しやすい形に直すことも検討しています。整理にあたっては、展示企画と調査を主導してきた新谷昭夫(しんたにあきお)さん(当時・主査、元・今昔館副館長)の指導のもとで作業しています。
「北船場」模型制作の調査資料
「北船場」模型制作のための調査記録を見てみましょう。調査を担当した森下尚美(もりしたなおみ)さん(当時・大阪市立大学大学院生)が、あんじゅ11号/「大阪くらしの今昔館ニュース VOL.4」(平成14(2002)年6月)の記事で調査の内容を語ってくれています。
模型は昭和7(1932)年の北船場、堺筋と道修町通・平野町通を中心とした一角です。明治末に堺筋が拡幅(軒切り)されて市電が通り、昭和に入ってから平野町通が拡幅されて、江戸時代から大阪の中心地だった町並みが近代的な都市に変貌していく様子が再現されています。150m四方の範囲で、建物は137棟あり83世帯が住んでいました。すべての建物に番号を打ち、当時の居住者・勤務者を探して、面談、電話による聞き取りを行いました。調査が行われたのは平成11年12月から平成12年3月ごろです。
この時に収集した資料としては、図面・文書類・写真アルバムの複写物、お店・事業所のパンフレット類などのほか、建物番号ごとに整理された聞き取り調査の記録が注目されます。自分の住まい・勤務先のことを、一生懸命に思い出していただいたことが伝わる内容です。間取りや屋敷構えのスケッチ、住まいの内外の思い出などと、アルバムの写真と併せてみると、具体的なくらしぶりがよくわかります。「〇〇さんの蔵がすぐ迫っていた」など、近隣の建物の特徴、住民の思い出も加わることもあり、横型の情景描写に役立ちました。聞き取り調査のあとにも、情報提供を続けてくださった方もいて、その手紙も残っています。
あの時だからできた調査
聞き取り調査に協力くださった方は明治から昭和一桁生まれの方がほとんどです。江戸時代・明治はじめの建物が数多くの残るなかで、軒切りと市電開通・店構えの変化・ビルの建設など、北船場の近代化を実際に体験してこられた方から寄せられた情報は、模型には反映されていない内容も含めて、今では得難いものばかりです。その後の変化をみても、今昔館開設にあたって、こうした調査ができたことは幸運だったのかもしれません。