屋根は重なるもの哲学者・大阪大学元総長 鷲田 清一
京都・東山の高台寺横に「京大和」という料亭がある。宗右衛門町で明治10年に創業した、大阪では知らぬ人のいない「南地大和屋」の一統として、昭和24年に開業した料亭だ。眼下には、清水・産寧坂の家並みが広がる。
その眺望は文字どおり「別品」である。とりわけ瓦屋根が隣家のそれとたがいちがいに重なりあっている様が美しい。色や形が整っているというだけではない。人びとがともに生き延びてゆくための知恵と工夫、というか「おたがいさん」という思いやりがたっぷりこもっているからだ。
ふだんは「都市の美観」など口にしない私がこうした光景を「美しい」と言うのには訳がある。私の住む地域もかつては屋根をそうしていた。長屋ともなると屋根は一続きであった。ところが二十年前ほどから建て替えが続き、思いがけないことが起こった。
建て替えをするときには、多くの施主は建造物を敷地ぎりぎりまで拡げようとして、境界からはみ出ている隣家の大屋根を切除することを求める。これに付随して、隣家は一部接していた壁もむき出しとなるので、補修が必要になる。しかも費用は自分持ちでだ。
そもそも屋根が敷地をはみ出ているのは、この重なりがなければ家と家のわずかな境に雨水が垂れ落ち、地盤が緩むからだ。それを防ぐべく、人びとは屋根を隣家のそれと重なり合わせた。
そういう習いが市中から消えたのは法律のせいである。法律は敷地内の建造物が敷地を超え、道路や隣の敷地を侵すのを禁じている。土地の所有権の境界がそのまま建造物の境界にもなっているのだ。
とはいえすぐに屋根の重なり合いをなくせ、というのではない。建て替えや改修のときに、現行の建築基準法への適合を求めるのである。例外規定もある。自治体によって「伝統的建造物群保存地区」に指定されれば、現行法への適合は求められない。かの産寧坂一帯は、この例外規定が適用されたからその「美観」を維持できたのだった。
一方、そうした指定を受けない地域では、戸建ての家々がそれぞれいじましいばかりに律儀に境界を守る。都心部となれば建坪率を上げようと建物が垂直にそそり立つばかりで、水平に重なりあってゆかない。
家の前の道に水撒きをする。それも隣の家の前まで少しは水撒きしておく。そういう慣習は消え去った。そのことと、屋根の重なりを禁じることはつながっている。「私的所有権」の過剰適用がこうした慣習を潰えさせ、それとあいまって、民衆がそれぞれに「私」に閉じこもってゆくのを見るのは、なんとも寂しいことである。