Spot1淀川を巡る歴史と自然
水運の歴史を追体験する、「毛馬第一閘門(けまだいいちこうもん)と旧毛馬洗堰(あらいぜき)」
大阪市内を流れる淀川は、江戸時代から塩や酒や木材、全国の特産物などを運ぶ、物資の輸送路として活用されてきた。多い時には1日に約9000人が旅客船で大阪と京都・伏見を行き来したと言われている。
日本初の本格的な治水事業である淀川改良工事が始まったのは、明治29年(1896年)。大阪市北区の長柄地区に、当時の施設が国の重要文化財(2008年指定)として残されている。「毛馬は、洪水防止のために新たに開削された淀川放水路(新淀川)と大川(旧淀川)の分岐点でした。高低差のあるこの2つの川を利活用するために、分流施設群が建設されました」と大場教授は話す。
船舶航行のために水位の高低差を調整する『毛馬第一閘門』と、大川に流れ込む水量を調節する『旧毛馬洗堰』の建設により、洪水の対策が整い、旅客や貨物などの舟運が盛んとなったため、沿岸の市街化も進んでいった。「京阪電気鉄道が開通し、鉄道輸送が主流になる昭和37年(1962年)頃までの間、舟運は活躍しました」。現在、施設の周りは公園として整備されている。緑の木々を背景に堂々と存在する『毛馬第一閘門』の佇まいは、その歴史を伝えながら、散歩客の目を楽しませている。
釣りもできる!都市に現れた自然「城北ワンド」
その毛馬公園から淀川沿いに東側に行くと、淀川河川公園に出る。堤防沿いには、ランニングや犬の散歩、サッカーやフリスビーを楽しむ人々の姿が日常的に見られる。川沿いをさらに東に進むと、水辺の緑が一層深い場所にたどり着く。この『城北ワンド』は、天然記念物のイタセンパラの生息地としても知られている。
「曲がった淀川を直線化する治水工事により、船の航行のために水流をコントロールし、一定の水深を保つ装置『水制』が岸側の各所に置かれました。そのおかげで水は川の中央部をまっすぐ流れ、岸側の水流は緩やかに変化。すると、次第に、水制に囲まれたところに土砂がたまり、水際を好む植生が繁茂し、魚や鳥が生息し始めたのです」。都市部に突如現れる貴重な自然。バス釣りの名所でもあるのだそうだ。開放感のある天然の水辺の広場として、人々の日常や余暇にゆとりと豊かさを与えている。