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大阪市 住まいのガイドブック あんじゅ

江戸時代の疫病退散 

 天災や流行り病など、目に見えない災難に直面したとき、江戸時代の人々は何を考え、どのように対処してきたのでしょうか。彼らは疫病の原因を怨霊の祟りと考えました。

 

 古来日本では、疱瘡をもたらす疱瘡神が赤を嫌うと信じられていました。『疱瘡心得草』(一七九八年刊)という書物には「疱瘡神祭る図」が載せられています。神棚には真っ赤な猩々像、赤い達磨、赤い御幣、赤い小豆を飾っています。子どもは赤い布団の上で赤い着物を身に着け、手に赤い風車を持ち、枕元には赤いデンデン太鼓を置いています。

 

 大阪くらし今昔館では、疱瘡神の棚を再現しました。神棚の前には疫病退散にちなんだ郷土人形を集めています。会津の「赤べこ」、三春の「めで鯛」、甲州の「信玄だるま」、土佐の「起き上がり」、越後の「三角だるま」などです。日本全国の郷土人形に赤色のものが多いのは、子どもを疫病から守る意図が込められているからでしょう。

 

 疫病を防ぐ神の姿は、絵画に描かれ、時には掛軸に仕立てられました。今昔館では、鍾馗像と神農像を飾っています。鍾馗は中国から疫病をはらう神として伝わり、五月の端午の節句には、疱瘡除けのため、幟に鍾馗の絵を描いて戸外にたてたり、五月人形として座敷に飾ったりしました。神農は中国医薬の祖で、世の中のありとあらゆる草を自ら試して薬効があるかどうかを確かめたと伝えられています。この二つの掛軸は江戸時代の大坂で制作されました。疫病退散の願いを込めて町家の床の間に掛けられたことでしょう。

 

 幕末に流行ったコレラも恐ろしい病でした。コレラを退治するのは一日千里を走る虎の力に頼りました。今昔館の玩具屋の店先にはコレラ退治の大きな張子の虎が飾られています。

 

 疫病という正体のわからないものが迫ってきた時、昔の人は怨霊や神の姿を絵や人形に表し、身の回りに置くことで疫病と戦い、命をつなげてきました。疫病の恐ろしさは今も昔も変わりません。今昔館では、疫病を乗り越えていった約二〇〇年前の大坂の町人の知恵と祈りを紹介しています。江戸時代の疫病退散への願いを今昔館で体験してみませんか。

 

服部麻衣(大阪くらしの今昔館学芸員)