特別対談 これからの「大阪くらしの今昔館」にバトンを繋ぐ
2021年4月で20周年を迎える「大阪市立住まいのミュージアム」(愛称は大阪くらしの今昔館。以後、今昔館)。今昔館の創設から運営を行ってきた谷直樹館長が退任し、新たに増井正哉館長を迎えることとなりました。今昔館が生まれた経緯や20年間の出来事を振り返りながら、今昔館のこれからについて語り合います。
(右)谷 直樹氏
1948年生まれ。大阪市立大学名誉教授。日本建築史、生活文化史、博物館学が専門。元建築史学会会長。開館から2021年3月までの20年間、大阪くらしの今昔館館長を務めた。
(左)増井 正哉館長
1955年生まれ。京都大学・奈良女子大学名誉教授。都市史、歴史遺産の保存・活用が専門。建築史学会会長。2021年4月、大阪くらしの今昔館館長に就任。
今昔館ができるまでのプロローグ
谷 あっという間の20年間でした。この機会に当時を振り返ってみたいと思います。増井さんは、今昔館の創設に携わったメンバーの一人ですが、これまで今昔館の動きを外からご覧になってどう思われますか?
増井 私は、国内外問わず、まちづくりや町並み保存の研究やサポートを行っていますが、今昔館の活動は、色んな意味でモデルケースになっていると思います。江戸時代の大坂の町を実現した9階の展示のあり方は先駆的だし、開館後も、大阪市内の小学校の3年生が昔のくらしの学習にやってきたり、ボランティア(町家衆)の積極的な活動、年5回の企画展、近隣の長屋との交流など、歴史や地域の素材を生かした発信をし続けていますよね。世の中の動きが博物館に求めているものを、常に時代を先取りしてやってきているところは、客観的に見ても面白いと感じています。
谷 開館してから20年経ちます。開館するまでにも色々ありました。今昔館が設立するきっかけとなった書籍『まちに住まう』(平凡社/1989) は、私も増井さんも編纂に関わりましたね。
増井 大阪市としても画期的な書籍でした。それまで大阪の歴史書で、庶民目線で書かれた、くらしの通史的なものはなく、都市居住というテーマについても、出版当時はそんな言葉すらなかった時代でした。都市は商業・工業の場で、郊外の一戸建てが理想という風潮でした。
谷 この書籍がきっかけになって、「大阪市の住宅政策の中に、歴史資産をもっと活かしていこう。都市住宅史を知ってもらうために市民に向けての施設が必要だ」という機運が高まりました。当時、大阪市住宅政策課の北山啓三さんが中心となって、現在の住まい情報センターの設立話が立ち上がる中、今昔館設立の企画も並行して進みました。 GOサインが出た時には、みんなで喜んだのを覚えています。
増井 そうですね、懐かしい。谷さんとは同時期にもう一冊共著で『まち祇園祭すまい』(思文閣出版/1994)も作っていましたね。祇園祭は年に1度しかないので、7月の宵山の一週間は学生を連れて、山鉾町の町家の調査に通い詰めでした。この祭礼研究が元となって、住まいのハレの装いや都市祭礼研究が進み、今昔館の展示にも生かされました。
今昔館、いざ設計!
谷 1997年から、学芸員の新谷昭夫さんと建築家の松本正己さんが加わって、増井さんと私の4人で、江戸時代の大坂の町並みの復元設計に取りかかりました。当時ほとんど資料が残っておらず往生しました。京都の町家ではなく大坂の町家を作らなくてはいけない。そこで、当時の図面や古写真などを発掘し、わずかに残る町家の遺構を徹底的に調査しました。
増井 具体的な建物の復元ではないので、決まったプロセスが無く、全て手探り状態。疑問点があがる度に、柱一本でも現地に確認に行ったりね(笑)。
谷 江戸時代のひとつの町の10分の1程度という限られた面積しかない。でも、表通りには商家がならび、そこから路地がのびて裏長屋がある。町内の施設として木戸門や会所や風呂屋がある。こんな風に大坂の町の特徴がすべて表現されている。大通りを進んで、路地をくぐり抜けていくと知らない間にぐるっと一周しているなど、展示場内の動線計画も工夫しました。まさに研究しながら作っていった感覚。大変でしたけど面白かった。
増井 モデル的なものでありながら、また学術的にも意味が通っている、それが限られた空間の中で全て語られていなければならない。たんに切り取ってつなげた空間を作っても、語りたいことが語られていなければ、博物館としての意味がないですもんね。
谷 そう。隣の家の敷地内に他の家の柱が入っていないか、土地と建物の関係もきちんと検討しましたね。資料を元にしながら、展示としての見せ場をつくりあげていくコツコツとした作業でした。映画のセットのような、雰囲気があればいいというようなものとは違って、博物館の展示としては学術的な裏付けが必要です。テーマパークとは全然違うんです。
増井 こうした江戸時代の都市居住の歴史が、明治以、どのように引き継がれ、また変化してきたのか。現代にどのようにつながっていくのか。それを表現したのが8階の展示でした。川口居留地、北船場、大大阪新開地、空堀商店街、バス住宅、古市中団地など。それぞれ、当時残っていた遺構を詳細に調査し、設計図面や古写真など、当時の資料を発掘し、お住まいの方々にヒアリングをしたり、とにかく、歩き回っては資料をあつめ、整理しては検討し、また歩き回るといった作業でしたね。
谷 もう、メイキング本を作らんといかんですね(笑)。
増井 海外でもここまでこだわった事例は見たことないですね。建物の中にこんなモデル的で学術的に厳密な展示をつくるというのは。野外博物館はたくさんありますけど。
町並み保存と同じやり方で
谷 20年間、開館当時の最高水準の展示をそのまま維持していくことが使命だと思ってやってきました。欠かさなかったのは、年2回のメンテナンス。春と秋の展示替えの際に、徹底的に掃除をするんです。屋根の埃を取ったり、格子を磨いたり、細かいところまで手入れを行き届かせてきました。展示物の犬も塗りなおしています。一般的な博物館では10年から20年位経つと展示の目新しさがなくなってリニューアルします。でも、今昔館の展示は陳腐化していない。これは本物の町家を作ったからです。風呂屋シアターの映像も、落語家の桂米朝さんの語りで当初から同じもの。質の高いものは、時代が経つにつれて光を帯びてくるもんです。
そうはいっても、時代の変化への対応も必要。館内で着物体験を始めた時は、着付けの場所を確保するために、町家を改造する必要があった。けれど、改造の仕方を誤ると「これは本当に江戸時代にあったの?」となってしまう。博物館である以上、時代考証と新しい機能との調和のせめぎ合いが、常にありました。
増井 まさに町家再生ですね。本来の姿の中で何にこだわって再生するかとか、この町家の価値が失われないように改造するような。メンテナンスの話も、町並み保存と同じ発想ですね。江戸時代って、どんどん家を建て替えるというのではなく、建てた家をどれだけ大事に使うかという精神がありました。当時の人びとは、季節ごとに建具を変えたり、ハレの日に店の間や座敷を飾ったりして、上手に住みこなしてきたのです。屋敷ひとつが200年300年継承されていくというのが当たり前でしたから。時代のニーズに合わせつつも、それぞれの建物の本質的な価値を継承しながら、美しい町並みが維持されているのだと、改めて感じました。
谷 建造物の修復技術も生かしています。こけら葺の庇にたまった埃を取り払うために、文化財修理で用いられる「灰汁洗い」を施しました。木造の建物を蘇らせる伝統技術が日本には多く残っているので、そういう技術も、今昔館では積極的に採用しています。現代の大阪の町家や長屋を再生しようとする人は、まず、今昔館の町家を見てほしい。ご先祖様に出会う感覚ですね(笑)。
ポストコロナに向けて
谷 これからの話をしていきたいのですが、2020年からのコロナ禍の影響を受けて、インバウンド(訪日外国人旅行者)がほぼゼロになっています。この状況を準備期間と前向きに捉えて、ポストコロナのことを今のうちに考えておく必要もあります。博物館には、日本の文化を海外に伝えるという目的があります。今昔館でも、着物体験を実施して海外旅行客の方に大変喜んでいただきましたが、和服を着て写真を撮るだけではなく、さらにもう一つ日本文化に触れてもらう仕掛けができればと考えています。どう思われますか?
増井 インバウンドの役割は何かというと、たんにお金を落としてくれることだけではなくて、地域の魅力を再発見してくれることだと考えています。旅行者は、地域の人が気づかなかった町や人の魅力を発見してくれます。ただ、100人のうち1人でも、文化の肝に触れてくれたら上出来。今昔館では、町並み展示の中にいるだけで、大阪文化に触れることができます。しかしそこに安住せず、これからはもう一工夫必要です。旅行者は何を面白がり、何を発見したのかをよく観察し、それを館の運営に情報発信ツールとして活かしていきたい。 町家衆(ボランティア)や学芸員と一緒に、これから考えてみたいです。
谷 今昔館では嬉しいことに、町家衆が生き生きと活躍してくれています。着物体験は彼らがいたからできたことです。町家衆のなかには、開館当初から続けている方も多くて、一番の長老は89歳です。あの町並みの中でパフォーマンスができるところも魅力のようで、一緒になって面白がり、お客を楽しませてやろうというサービス精神があるのが本当に大阪らしい(笑)。今後も大阪の人が、海外の人と交流することで大阪の良さに気づいてもらいたい。今昔館から新しい交流のかたちが生まれてくれることが理想です。
増井 いいですね。ふとした情報の提供が、感動をより高めてくれたりします。異文化の方に伝えるには、さらに何かもう一つ仕掛けが必要かもしれません。魅力をどう翻訳するか。具体的にはまだわかりませんが、説明的にならずに、より感動を高めていくようなセンスのある仕掛けがあればいいのかなと。
谷 なるほど。他にも、一見異なる風習や文化に、自分の国と同じ部分を見つけてもらうことも大切だと思います。「なんだ、自分の国と同じじゃないか」とか、文化の繋がりに気づくことも、本当の意味での国際交流だと思います。それが今昔館でできるとすばらしい。
増井 日本の若い方への伝え方も配慮が必要です。時代が進むにつれて、江戸時代の町並みをイメージや生活感覚として理解できた人も年々減ってきます。江戸時代はもちろんのこと、昭和を全く知らない小学3年生が町家の縁側に座って「ホッとする」と言ったそうですね。これも、脈々と受け継がれているDNAに訴えかけてくる何かがあるのだと思います。世代による原体験の違いをどのように埋めていくか、具体的に考えて行く必要があるかもしれません。
谷 色々できることがありそうですね。
増井 今昔館でのこれからの私の使命は、江戸時代のフロア(9階)も明治・大正・昭和のフロア(8階)も形としての価値を活かしつつ、運用面は新たにチャレンジすることだと考えています。
谷 こういう日本文化・大阪文化の真髄に触れられる空間は、どんどん町の中から少なくなるでしょう。20年30年後には、今昔館の存在価値がいっそう高まり、大阪の生きた文化資産になっていることを願っています。
大阪くらしの今昔館 開館20周年記念対談