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大阪市 住まいのガイドブック あんじゅ

商店街だから楽しい天神橋筋商店街をぶらり歩き

 大阪が誇る、 全長約 2.6kmの日本で一番長い商店街 「天神橋筋商店街」。
 天神祭で有名な大阪天満宮の門前町として古くから栄えてきました。
 賑わいの秘訣はどこにあるのでしょうか?
日常的に商店街を利用しているあんじゅ編集者が、 商店街でお店を代々営まれている店主の方々にお話を伺います。 

 

江戸時代、 明治期を経て、 令和の時代へ。積み上げてきた信頼

 

國重刃物店 8代目店主 水田裕隆(みずたひろたか)さん。
「幼い頃は土日の商店街は静かで、親父とキャッチボールができました。」

 

 まず訪れたのは、 店頭にずらりと並ぶ刃物が目を引く 「國重刃物店」 。
 刀鍛冶だった祖先が約240年前に大阪 ・ 天満に移り住み刃物店を始めた。 
地域では、 〝包丁を買うなら國重で〞 といわれ、 信頼されている商店だ。
 明治初期に天神橋筋商店街が誕生してから、裁ち包丁、 鋏(はさみ)、 花鋏や剪定鋏など近隣の工場や、 職人向けの刃物を扱い、 近年では家庭用 ・ 料理人向けの包丁を主流に扱う。 
「職人からの詳細な要望にも細かく対応しています」 と水田裕隆さん。 
遠方の職人からも注文が届く。 長い年月を経て高い品質へのこだわりは続く。

店内、店外には、さまざまな種類の包丁や布用、植物用の鋏、彫刻刀などが 1000本以上並ぶ。
コロナ禍以前には日本の刃物に関心のある多くの外国人 観光客が立ち寄ったそう。 

 

活気のある商店街であり続けたい 

ハウスかねき 5代目店主鈴木 崇司(すずきたかし)さんとお母様の雅子さん。 

 続いてやってきたのは、 キッチン用品を中心に雑貨 ・ 日用品を扱う 「ハウスかねき」。
 「この活気のある商店街を守りたい。 様々な店があるごった煮の商店街が天神橋筋商店街の味。 〝ここならでは〞 を楽しんでほしい」 と店主の鈴木崇司さんは話す。
 鈴木さんは、 天神橋筋六丁目商店街事業部長を務め、 店主同士の交流にも力を入れている。 
「顔がわかれば、 自然と挨拶する。 働く人同士の交流も商店街の活気につながます。 」 鈴木さんは快活に笑った。

明治10 年の創業当時は、建築資材などの金物商 品を扱っていた。
「先代の頃までは、職人 さんが現場に行く前にお店に立ち寄っ て、用具を揃えて行ったと聞いています」

 

 古くからの人づき合いを大切に

 

.エスエス薬局4代目の阪和則(さかかずのり)さん。
勤め ていた東京の製薬会社を5年前に辞め て、後を継いだ。 

 最後に訪れたのは、 店頭のPOPが楽しい、 大正 12年創業の調剤薬局 「エスエス薬局」。 
希少な商品もあり、 体質に合わせて選べる品揃えだ。 
「買い物ついでに健康相談に立ち寄るお客様もいます。 長く続く商店街ならではの関係性ですね。祖父の想いを継いで、 不安な時に気軽に頼れる、 〝まちの薬 屋さん〞 になれたら」 と阪和則さん。 
「同じく薬剤師の母にはたくさんのお客様がいます。 私はまだまだ。 」 
心の通った交流と信頼関係が築かれている。

顧客 名簿のファイルがぎっしり。古くからの常 連さんから、転居した後も薬の調合依頼 を受けることがあるという。 
阪さんが幼い頃まで、 商店街の中では唯一の薬局。皮膚薬と毛 髪薬をメインに取り扱っていた。

 

親子三代で通える、商店街に

天神橋筋商店会  総務副部長
佐藤暢大(さとうのぶひろ)さん

 戦後、 天神橋筋商店街は大きく栄えました。
 当時はどの商店も皆一国の主で、その分商店街への思い入れも強かったと祖父から聞いています。
 テレビなどの影響で奇抜な印象を持つ方も多いですが、行動範囲が限られた高齢者にとっては、 この商店街が生活を支え、 『見守り役』 でもあります。 
「こんな商品ない?」 気軽に言える雰囲気がここにはあります。
 対面で商品を買う醍醐味がコミュニケーションにあるのでしょう。 
いつまでも人とのふれあいが残る商店街でありたい。 
アーケードを歩くと新旧の店が混在する風景も面白く、 催しも多く飽きさせません。
お店を巡って会話をしながら、 買  い物や食事を楽しんでほしいで す。
 親子三代で通える商店街を作っていきたいです。

 


 

 皆さんの言葉から感じたのは、商店街で交わ されるコミュニケーションの濃さだ。
天神橋筋 商店街に残っている、商売を通して人と人が関 わり合う風土。
何気なく利用している商店街に 染み込んだ歴史を知って、明日からの買い物 がもっと楽しくなりそうだ。