天満屋ビル
まちと人を見守り続けるたくましいビル
大阪市港区、大阪メトロ大阪港駅からも海遊館からも歩いて数分。
みなと通り沿いに、カーブと直線を組み合わせた美しいデザインの天満屋ビルが現れる。
昭和10年に完成し、戦争も度重なる水害も乗り越え、このまちを見守り続けてきた。
築港のシンボル的存在として、まちの歴史を今に伝える。天満屋ビルに、現オーナーの清水融(とおる)さんと、建築士の村上晃一(こういち)さんを訪ねた。
天満屋ビルは、港運業を営む「天満屋回漕店(てんまやかいそうてん)」の社屋として清水さんの伯父潤(じゅん)さんが建てた。建設は村上さんの父・徹一(てついち)さんだ。当時の築港は、大阪の海の玄関口であり、大勢の船客、大量の貨物の取り扱いで繁忙を極めていた。
第2次世界大戦では焼夷弾が天満屋ビルの上に落ちたが、幸い火がまわらず、ビルは生きのびた。清水さんは大空襲で周囲がほとんど焼け野原になって、焼け出された人たちがこのビルに避難してこられたと聞いているそう。
度重なる台風被害を受けてきた地域でもあり、戦後に行われた盛り土工事により、地域全体が2mほど嵩上げされた。天満屋ビルの1階だった部分はほぼ埋まってしまい、今は半地下のように少し顔をのぞかせている。
現在のエントランスは、かつて2階だったところだ。柵から下を覗くと、嵩上げ前の地面の位置が残され貴重な遺構となっている。
昭和40年(1965年)頃、天満屋ビルはテナント貸しを始めることになった。ビルを建てた伯父に代わり管理を担うことになった清水さんは、徹一さんの仕事を継いだ村上さんに整備を依頼。
その後は、船の修理をする会社、検疫会社などが入居した。「3階は見晴らしがよく、人気があった」と清水さんはいう。現在3階に入るのは(株)REPROLAND。ヴィンテージランタンとビルの佇まいが調和することが、入居の決め手となったという。
ビルが放つ魅力の虜になって店を構えたのは、2階のカフェ、ハaハaハaHayashiRice & JewelryCrafts。イベントの企画なども手がけ、開店から20年を迎えた今もこのまちに欠かせない存在となっている。
焼夷弾にも台風にも耐えた頑丈なビルだが、数年前、3階の屋上部分にタイルの剥落が見つかった。清水さんと村上さんは、ちょうどそのタイミングで大阪市の修景事業を知り、補助を得て修繕することができたという。
特にこだわったのは外壁のタイルの貼替え。スクラッチタイルという表面に細い溝のあるタイルで、独特の風合いがある。愛知県の業者に建設当時のタイルを再現してもらい使用した。
まちの人はもちろん、研究者などからも注目される天満屋ビル。
清水さんは取材などを受ける中で、「興味を持ってもらえて先代も喜んでいる」と感じている。
今後について聞くと、「地震や高潮はとても心配。だけど頑丈に建ててもらったので、昭和の香りを大切にして保全に努めたいと思います」と語った。
名 称 :天満屋ビル(てんまやびる)
所 在 地:港区海岸通
建 築 年:昭和10年(1935年)
構 造 :鉄筋コンクリート造
規 模 :3階建て(一部地下)
修景概要:外壁の洗い、タイルの貼替え、柵の取替え等