近世大坂の「町」の仕組みと借屋人 ―家請人仲間を中心に―
開催概要
のぞいてみよう! 江戸時代の大坂の暮らし
-大坂から大阪へ。都市に住まう庶民の生活の知恵-
11月3日(金・祝) 13:30~15:30開催
【第一部】 基調講演
近世大坂の「町」の仕組みと借屋人
―家請人仲間を中心に―
塚田孝 氏(大阪市立大学名誉教授)
【第二部】 パネルディスカッション
パネリスト:神前あゆみ
(大阪市立住まい情報センター相談担当)
深田智恵子
(大阪くらしの今昔館学芸員)
コーディネーター:増井正哉(大阪くらしの今昔館館長)
コメンテーター :塚田孝 氏
【第一部】 基調講演 近世大坂の「町」の仕組みと借屋人 ―家請人仲間を中心に―
塚田 孝 氏
大阪市立大学名誉教授。1954生まれ。東京大学文学部卒業。文学博士。専門は日本近世史。主な編著書に『近世大坂の都市社会』(吉川弘文館)、『大坂民衆の近世史―老いと病・生業・下層社会』(ちくま新書)、『史料から読む近世大坂』(和泉書院)など。
「町」は住まう上での共同体の単位だった
塚田先生の基調講演では、町触(まちぶれ/町奉行所が出す法令・規則)や借屋の契約書(請書)といった史料から、江戸時代の大坂の庶民の住まい方が語られた。
江戸時代中期(18世紀半ば)、大坂の都市空間は、現在のJR大阪環状線の内側2/3ほどのエリアに形成されていた。北は天満あたりから南は道頓堀まで、東は大阪城の東を流れていた猫間川、西は木津川あたりまで。北組・南組・天満組に分かれ(これを三郷と呼ぶ)、最大で40万人余りが暮らす大都市だった。
都市部での暮らしは町単位で運営されていた(三郷全体で620町ほど)。町人と呼ばれるのは、家持(いえもち/家屋敷の持ち主)で、1つの家屋敷に自分の家族だけで暮らし、商売をする場合(大店)もあれば、店舗や住居として家屋敷の一部を貸し出す場合もあった。家持が寄り合いを開き、家の賃貸借や奉公人を置くことなどに関する規則を定めた。例えば、次のようなものがあった(道修町三丁目の場合)。
- 同家(同居)は家主の五人組・町年寄などによる調査承認が必要
- 借屋人はこれまでの居所や商売を確認し町全体の承認が必要、家請状が必要
- 奉公人の雇い入れは主人に任せるが身元保証人をつけること
- 借屋での商売は煮売りなど人を多く集めるものは禁止
江戸時代の町は単なる地名ではなく暮らしていく上での共同体の単位で、現代の自治会・町会よりもずっと運営の力が強かったという。
借屋仲介と救済を担った「家請人仲間」
家を借りる場合は、借屋人の保証人となる請人と家持の間で契約が交わされた。身元保証を商売として行うのが家請人である。滞納した家賃の取り立てや、家持が必要な場合には速やかに退去させる役割も担った。また、家請人は身元保証をするほかに借屋の紹介も行い、仲介業者の側面を持っていたと考えられる。
家請を稼業とするものが増える一方で、町奉行所には借屋人退去などの訴訟が持ち込まれることが増えていった。こういった状況を打開するため、家請人たちは町奉行所に家請人仲間の公認を提案する。享保17(1732)年の町触で、家請人仲間として53名の家請人が指定された。
家請人仲間で「家請小屋」を持ち、借屋を立退させられた人を一時的に収容する場を設けて運営した。「家請小屋」は行き場を失った借屋人が無宿になることを防ぎ、明け渡しを速やかにする保証となった。これは、現代の言葉でいえば、セーフティネットの役割も担ったと言えるかもしれないが、実際は町奉行所や家主の利益が優先された。
女名前(女性名義での契約)の禁止
江戸時代半ばの享保15年、女性が借屋の名前人(名義人)になることを禁止する制度ができる。発端は、夫婦で住まう場合に妻(女房)の名義にすることや、複数の家屋敷を持つ夫婦で夫名義と妻名義の物件が混在していることが問題となったことにある。おそらく、家屋敷を抵当とする借金をめぐるトラブルが背景にあり、大坂の経済都市としての特質とかかわっていたのであろう。
しかし、財産所有権の強さから、家持では申請によって引き続き3年以内の女名前(女性が名義人となること)が認められたが、当初のターゲットではなかった借屋人の女名前は一切認められないことになってしまった(6月12日の町触)。
[享保15年6月12日町触の概要]
一、女名前は、本人と町年寄が惣会所(北組・南組・天満組に設置)に届けて承認を得ること
二、承認を受けても男名前ができ次第切り替えること
三、大坂の都市部(三郷)の外から新規に 女名前で借屋を借りることは禁止
四、現状認めるが、今後新たに女名前で借屋を貸してはいけない
一・二条目は家持と借屋を区別していないが、三・四条目で新たな借屋の女名前が認められなくなったので、結果として借屋の女名前だけが一掃されることとなったのである。
借屋人が女性だけの家族になった場合は、家を借りるために男性の名義人を得なければならない。男性名義で家を借りてもらい同家(同居人)となるか、養子を迎えたりした。借屋のために結婚をすることもあった。
夫の失踪で借屋の退去を余儀なくされ、「家請小屋」に入った一家の記録から、同家や養子をとる、あるいは婚姻などで男名前を確保して住まいを転々とした事例が確認できたという。借屋暮らしは不安定なものであったことが窺える。