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大阪市 住まいのガイドブック あんじゅ

―江戸時代の化粧道具― 牡丹唐草蒔絵鏡台

根古志形鏡台(『類聚雜要抄』国立国会図書館デジタルコレクションより)

鏡台は鏡とそれをすえる台からなる化粧道具です。古い時代の記録としては奈良時代天平十九年(七四七)の『大安寺伽藍縁起幷流記資財帳(だいあんじがらんえんぎならびにるきしざいちょう)』にある「鏡台肆(四)足」などが知られています。

 

鏡台の具体的な形状が分かるのは平安時代後期になってからで、久安二年(一一四六)年頃に記された『類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)』では根古志形(ねこじがた)と呼ばれる鏡台の姿が確認できます。立木を地面から根ごと引き抜いた形に似ていることに名前の由来があるとされ、治承(じしょう)三年(一一七九)の高倉天皇行幸に際して奉納されたと伝わる春日大社の国宝《黒漆平文(ひょうもん)根古志形鏡台》が同時代の作例として広く知られています。

 

 

室町時代以降になると根古志形のような古い様式に各種の化粧道具を収納するための引き出しの付いた鏡台が登場し、蒔絵(まきえ)などで美しく飾り立てたものが上流階級の調度品として普及しました。江戸時代寛永十六年(一六三九)年に、三代将軍家光の長女千代姫の婚礼調度として誂(あつら)えられた国宝《初音の調度》のうちの一つ《初音(はつね)蒔絵鏡台》はその最高峰とされています。

 

 

《牡丹唐草蒔絵鏡台》(大阪くらしの今昔館蔵)

 

大阪くらしの今昔館が所蔵する《牡丹唐草蒔絵鏡台(ぼたんからくさまきえきょうだい)》は二段の引き出しをもつ方形の台に、鳥居形の鏡掛(かがみかけ)を立てる組み立て式のもので、《初音蒔絵鏡台》と同じく江戸時代の婚礼調度の特徴をよく表しています。

 

 

本作では鏡掛の部材が失われており、実際に組み立てることはできませんが、引き出し内部にはお歯黒に使用する五倍子粉(附子粉)(ふしこ)を入れる附子箱や、婚礼調度によく見られる柄の無い小型の丸鏡、鏡を入れる鏡巣などの化粧道具がコンパクトに納められていました。背面に松竹梅や鶴亀文を彫り込んだ鏡は直径十二・五センチと小振りですが、重量は約一キロもあり、本作の鏡掛が欠損した主な要因と考えられます。

 

《牡丹唐草蒔絵耳盥》(大阪くらしの今昔館蔵)

 

木製黒漆塗りの鏡台、附子箱、鏡巣には華やかな牡丹唐草の文様が金の蒔絵で描かれており、作品全体の統一感を高めています。牡丹の花や葉と唐草を組み合わせた牡丹唐草文は牡丹鑑賞が好まれた中国の隋や唐の時代に、西アジアから伝わった唐草文様を取り入れて成立したと考えられています。牡丹の花の大きさや葉、蔓の表現で細かく分類されるほどの種類があり、特に漆工品では一種類の文様を婚礼調度に統一して用いた例が多くみられます。今昔館の所蔵品の中にも本作と同種の文様をもつ《牡丹唐草蒔絵耳盥(みみだらい)》があり、これら二作品はかつて多種多様な調度類と共に一式で誂えられたことが想像されます。

 

 

《職人尽図屏風》(大阪くらしの今昔館蔵)

 

職人尽図屏風の「蒔絵師」についてはあんじゅ97号にも掲載されています。 

 

上田 祥悟(大阪くらしの今昔館学芸員)