大阪市立住まい情報センター 平成23年度シンポジウム報告 第2部
第2部
今昔館は旭山動物園をめざす~おもしろく「歴史」を体験~
大阪くらしの今昔館 館長 谷 直樹さん
大阪くらしの今昔館は、昨年度の来館者が20万人を超えて喜んでいましたが、旭山動物園の話を聞いて、上には上があるものだと思いました。とはいえ、博物館として、旭山動物園とくらしの今昔館は似たところがあることもわかりました。珍しい動物はいないという旭山に対して、今昔館にも珍しい展示物はありません。旭山ではありのままの動物の日常を、今昔館ではありのままの大坂の暮らしぶりを、それぞれ興味深く見ていただくために、見せ方に工夫を凝らしています。先ほど、坂東園長は、飼育係の人たちも「展示物」の一部とおっしゃいましたが、今昔館ではボランティア・町家衆はもちろんのこと、来館するお客さんも展示の風景になっています。そして何よりも一番共通しているのは、両方とも運営のお金が少ないので、手作りでそれを補っていることです。
ところで、大阪くらしの今昔館の目玉展示である江戸時代の復元町並みは、一朝一夕にできたものではありません。平成4年に企画がスタートし、平成6年に展示設計ができましたが、その直後に阪神淡路大震災が起こり、急きょ、設計を変更して町並み展示室の床下に免震装置をつけました。今昔館が入っている住まい情報センターは平成11年にオープンしましたが、「住まいのミュージアム」は遅れて平成13年の春に開館し、翌年には「大阪くらしの今昔館」の愛称がつけられました。
大阪の原風景とほんまもんの文化を体感
今昔館の存在意義は何でしょうか。大阪は現代都市であると同時に歴史都市です。ところが、大阪の原風景である歴史的な町並みは、ほとんど残っていません。本の知識から「天下の台所」「町人のまち」と言いますが、実際にそれを体感する空間があれば、大阪に対するアイデンティティーももっと強くなります。実物大の江戸時代の町並み再現はこうして企画されました。それがビルの最上階(9階)にあるところが、今昔館のユニークな点です。
今昔館の展示を見て、高齢者は「そうそうこんな風景があったなあ」と気持ちが和み、生きる力が湧いてきます。若者は「大阪も捨てたものでないよ」と再認識します。子どもたちには、大阪の原風景と暮らしの文化を五感で伝えることができます。それは、今昔館の開館のポスターにある「ほっとしたいそこの人、しばし時を忘れて、浪花見物に参りませう」のキャッチフレーズどおりになっています。
今昔館の江戸時代の町並みは、学術的に高い評価が与えられています。それは、研究者による厳密な復元設計をもとに、桂離宮の昭和大修理を担当した大工棟梁が、昔の技術で建物をたててくれたからです。まさに「ほんまもん」(本物)です。これに、年月を経た重厚さを出すため、映画の美術監督の手で、柱の風食や白壁のひび割れ、雨落ちなどがリアルに再現されました。そして、この町並みでは、朝から夜までの1日の変化が45分で体感できるように、音や光やCGなどの最先端技術を駆使した演出が行われています。これに人間国宝の桂米朝さんの語りが加わり、今昔館の魅力を高めています。
もう一つ、今昔館がよその博物館と違うのは、町家の中では展示ケースを使っていないことです。本物はガラスケース越しではなくナマの姿で見てもらう。町家に飾った屏風や掛軸は、実は本物です。生活文化財はできるだけ当時のままの姿でご覧いただく。これが今昔館のこだわりです。天神祭でも、今では絶えてしまった祭りの風景を再現しました。幔幕をはり、屏風を立て、「嫁入り道具一式のお獅子」のように遊び心の効いた「造り物」を飾る。これが祭りの日の大阪の文化でした。また、町家では上方落語の会やお茶会が開かれ、さらに昔の大阪の婚礼も再現しました。今では、多くの来館者が和服着付けを体験します。彼らが和服姿で町並みを歩くことで、にぎやかで生きた町になってきました。お客さんをまきこんだ展示は、日本の博物館の中でも珍しい存在と言えるでしょう。
一方、8階の近代大阪の展示室には、精巧な「大阪六景模型」があります。9階の実物大とはがらりと趣きを変えて、ミニチュアの世界の魅力があります。ここで1時間に2回上演される「住まい劇場」では、八千草薫さんが上品な大阪言葉で近代大阪のくらしを語ってくれます。さらに企画展示室では、さまざまな特別展を開催してきました。「昭和レトロ家電」、「住まいの絵本」、「茶室起こし絵図」、「おまけ大行進」など。少ない予算の中でいかにおもしろい切り口でユニークな企画をするか、たくさんの人に来てもらうか。学芸員が知恵をしぼっています。
町家衆によって生み出される大阪らしいにぎわい
最後になりましたが、大阪くらしの今昔館には他館にはない活動があります。それはボランティアの町家衆です。実は、今昔館では開館前からボランティアの活動が始まり、一緒に博物館を作ってきました。今では200人近くに成長しました。町家衆は、本当に今昔館にふさわしい名前で、私はかってに「町家をたのしむ衆」と解釈しています。「無理をせず、自分の楽しいことをするのが最大のもてなしになる」。これが町家衆の合言葉です。町並みを案内する「町家ツアー」、南京玉すだれや紙芝居、夏の風物詩「肝だめし」など、来館者も一緒に楽しめるイベントを生み出しました。今昔館の活気の最大の原動力がこの町家衆にあると言っても過言ではありません。まさに、おそるべし、という力を発揮しています。
今から160年前、大坂の歌舞伎狂言の作者であった西澤一鳳という人が、大坂の気風について「花やかに陽気なることを好む」と書き残しています。今昔館は、まさに陽気な大阪人が育てあげた、大阪ならではの博物館になりました。こうした今昔館の企画と活動に対して、多くの建築関係の賞を受賞しています。
「博物館はお勉強の場」という固定観念をくつがえし、楽しみながら体感し、気がついたら歴史や文化を学んでいた。こんな博物館になりたいと願っています。
続きはこちら ≫ https://www.sumai-machi-net.com/symposium/archives/1711
第2部
今昔館は旭山動物園をめざす~おもしろく「歴史」を体験~
大阪くらしの今昔館 館長 谷 直樹さん
大阪くらしの今昔館は、昨年度の来館者が20万人を超えて喜んでいましたが、旭山動物園の話を聞いて、上には上があるものだと思いました。とはいえ、博物館として、旭山動物園とくらしの今昔館は似たところがあることもわかりました。珍しい動物はいないという旭山に対して、今昔館にも珍しい展示物はありません。旭山ではありのままの動物の日常を、今昔館ではありのままの大坂の暮らしぶりを、それぞれ興味深く見ていただくために、見せ方に工夫を凝らしています。先ほど、坂東園長は、飼育係の人たちも「展示物」の一部とおっしゃいましたが、今昔館ではボランティア・町家衆はもちろんのこと、来館するお客さんも展示の風景になっています。そして何よりも一番共通しているのは、両方とも運営のお金が少ないので、手作りでそれを補っていることです。
ところで、大阪くらしの今昔館の目玉展示である江戸時代の復元町並みは、一朝一夕にできたものではありません。平成4年に企画がスタートし、平成6年に展示設計ができましたが、その直後に阪神淡路大震災が起こり、急きょ、設計を変更して町並み展示室の床下に免震装置をつけました。今昔館が入っている住まい情報センターは平成11年にオープンしましたが、「住まいのミュージアム」は遅れて平成13年の春に開館し、翌年には「大阪くらしの今昔館」の愛称がつけられました。
大阪の原風景とほんまもんの文化を体感
今昔館の存在意義は何でしょうか。大阪は現代都市であると同時に歴史都市です。ところが、大阪の原風景である歴史的な町並みは、ほとんど残っていません。本の知識から「天下の台所」「町人のまち」と言いますが、実際にそれを体感する空間があれば、大阪に対するアイデンティティーももっと強くなります。実物大の江戸時代の町並み再現はこうして企画されました。それがビルの最上階(9階)にあるところが、今昔館のユニークな点です。
今昔館の展示を見て、高齢者は「そうそうこんな風景があったなあ」と気持ちが和み、生きる力が湧いてきます。若者は「大阪も捨てたものでないよ」と再認識します。子どもたちには、大阪の原風景と暮らしの文化を五感で伝えることができます。それは、今昔館の開館のポスターにある「ほっとしたいそこの人、しばし時を忘れて、浪花見物に参りませう」のキャッチフレーズどおりになっています。
今昔館の江戸時代の町並みは、学術的に高い評価が与えられています。それは、研究者による厳密な復元設計をもとに、桂離宮の昭和大修理を担当した大工棟梁が、昔の技術で建物をたててくれたからです。まさに「ほんまもん」(本物)です。これに、年月を経た重厚さを出すため、映画の美術監督の手で、柱の風食や白壁のひび割れ、雨落ちなどがリアルに再現されました。そして、この町並みでは、朝から夜までの1日の変化が45分で体感できるように、音や光やCGなどの最先端技術を駆使した演出が行われています。これに人間国宝の桂米朝さんの語りが加わり、今昔館の魅力を高めています。
もう一つ、今昔館がよその博物館と違うのは、町家の中では展示ケースを使っていないことです。本物はガラスケース越しではなくナマの姿で見てもらう。町家に飾った屏風や掛軸は、実は本物です。生活文化財はできるだけ当時のままの姿でご覧いただく。これが今昔館のこだわりです。天神祭でも、今では絶えてしまった祭りの風景を再現しました。幔幕をはり、屏風を立て、「嫁入り道具一式のお獅子」のように遊び心の効いた「造り物」を飾る。これが祭りの日の大阪の文化でした。また、町家では上方落語の会やお茶会が開かれ、さらに昔の大阪の婚礼も再現しました。今では、多くの来館者が和服着付けを体験します。彼らが和服姿で町並みを歩くことで、にぎやかで生きた町になってきました。お客さんをまきこんだ展示は、日本の博物館の中でも珍しい存在と言えるでしょう。
一方、8階の近代大阪の展示室には、精巧な「大阪六景模型」があります。9階の実物大とはがらりと趣きを変えて、ミニチュアの世界の魅力があります。ここで1時間に2回上演される「住まい劇場」では、八千草薫さんが上品な大阪言葉で近代大阪のくらしを語ってくれます。さらに企画展示室では、さまざまな特別展を開催してきました。「昭和レトロ家電」、「住まいの絵本」、「茶室起こし絵図」、「おまけ大行進」など。少ない予算の中でいかにおもしろい切り口でユニークな企画をするか、たくさんの人に来てもらうか。学芸員が知恵をしぼっています。
町家衆によって生み出される大阪らしいにぎわい
最後になりましたが、大阪くらしの今昔館には他館にはない活動があります。それはボランティアの町家衆です。実は、今昔館では開館前からボランティアの活動が始まり、一緒に博物館を作ってきました。今では200人近くに成長しました。町家衆は、本当に今昔館にふさわしい名前で、私はかってに「町家をたのしむ衆」と解釈しています。「無理をせず、自分の楽しいことをするのが最大のもてなしになる」。これが町家衆の合言葉です。町並みを案内する「町家ツアー」、南京玉すだれや紙芝居、夏の風物詩「肝だめし」など、来館者も一緒に楽しめるイベントを生み出しました。今昔館の活気の最大の原動力がこの町家衆にあると言っても過言ではありません。まさに、おそるべし、という力を発揮しています。
今から160年前、大坂の歌舞伎狂言の作者であった西澤一鳳という人が、大坂の気風について「花やかに陽気なることを好む」と書き残しています。今昔館は、まさに陽気な大阪人が育てあげた、大阪ならではの博物館になりました。こうした今昔館の企画と活動に対して、多くの建築関係の賞を受賞しています。
「博物館はお勉強の場」という固定観念をくつがえし、楽しみながら体感し、気がついたら歴史や文化を学んでいた。こんな博物館になりたいと願っています。
続きはこちら ≫ https://www.sumai-machi-net.com/symposium/archives/1711