住まいまちづくりの心意気Part2 「住まいづくりの知恵やココロは?」
※この催しは、平成20年度タイアップ事業の交流会の一環ですが、広く市民に対して参加をよびかけました。北山啓三大阪市副市長(当時 大阪市住まい公社理事長)などまちづくりの達人の講演と交流会を実施しました。
日時 : 2009年2月13日(金)18時00分~21時00分
場所 : 住まい情報センター5階研修室
講演 : 1.基調講演 北山 啓三(大阪市住まい公社理事長)
2.事例紹介
①鈴森 素子(NPO法人住宅長期保証支援センター 専務理事)
②山本 尚子(NPO法人もく(木)の会 理事)
3.フリーディスカッション
パネラー:
北山 啓三(大阪市住まい公社理事長)
鈴森 素子(NPO法人住宅長期保証支援センター 専務理事)
山本 尚子(NPO法人もく(木)の会 理事)
司会進行、及びフリーディスカッション
川幡 祐子(大阪市立住まい情報センター)
—–1.基調講演と2.事例報告の概要は、下記↓をご覧ください—–
Ⅰ.基調講演「住まいづくりの知恵やココロは?」/北山啓三
<講師プロフィール>
大阪市住宅局理事、都市整備局長などを歴任、平成19年度より大阪市住まい公社理事長。新婚家賃補助制度、生野区南部地区密集市街地整備事業、HOPEゾーン事業制度、大阪市立住まい情報センター及び住まいのミュージアムの設立など、現在の大阪市住宅政策の骨格づくりに携わる。趣味で各地の街並みを訪ねるなど地域文化への造詣も深い。主な著書に「行政建築家の構想」(共著 学芸出版社)など。
大阪市では、まちの元気と魅力を引き出すため様々な住宅政策に取り組んでいます。独自の住宅施策として新婚家賃補助やHOPEゾーン事業なども行われていますが、どのような姿勢で政策を考え実施されてきたのか、まちを元気にし、住環境を豊かにする仕組みや工夫についてお話がありました。
大阪市の住まい・まちづくり政策の源流
大阪市の住宅行政は、戦前の社会部(福祉関係のセクション)から始まったといわれています。ところが大阪のまちにはもっと古い歴史があります。「住まいのミュージアム」には、江戸期の天保年間の町家を復元した、近世の大阪の住まいの様子がわかる博物館があります。江戸時代、大阪は非常に栄え、瓦葺きの立派な建物が多く、町人による高度な自治が行われ、生活文化も含めて高度な営みをしていました。これが私たちの大阪の原点なのです。
関一市長の住宅政策~近代の大阪の住まい・まちづくり政策の源流~
明治時代に入ると、社会が発展していくと同時に、大量の人が大都市に流れ込んできました。工場の周りにはたくさんの寄宿舎などの建物が無秩序に建てられ、不良住宅の密集地をあちこちに造り出す結果となりました。そこで、なんとかしようと大阪府は明治19年に「長屋建築規則」を、明治42年に「建築取締規則」をそれぞれ制定しました。一方、当時大阪市の助役であった関一市長は、「住み心地よき都市」をどう造るか、いかに環境のよい住宅を造れるか、という基本的な考え方にたった「大阪市街改良法草案」(大正7年)を独自にとりまとめ、それを国に働きかけ、大正8年、「都市計画法」及び「市街地建築物法」の制定へと至りました。関一市長は助役時代に出版した著書「住宅問題と都市計画」(大正12年)で、次のことを述べています。
関一市長による住宅政策への姿勢
「都市計画の目的は我々の住居する都市を『住み心地よき都市』たらしめんとするに在る。故に都市改善の計画は住宅問題と内容実質に於て不可離関係を有すべきである。」
都市政策の生みの親といわれている関一市長は、市街地が膨張していくなかで、区画整理事業にみられるような受益者負担の諸原則も取り入れながら街をつくっていったのです。また、「住宅問題と都市計画」の中では、空家の分析や住宅難の原因、住居負担率が収入に応じてどのように変化しているか、さらに住宅の監督制度、スラム・クリアランスなど、欧米の施策の実情も分析し、本格的な住宅政策について多面的に論述展開しています。こうした意味で近代の大阪の住まい・まちづくり政策の源流は関一にあるといえます。
新たな住まい・まちづくり政策の展開
大阪市が住宅政策を本格的かつ総合的に議論し始めたのは、昭和47年に住宅審議会が設置されてからです。2年後の昭和49年に企画室ができ、住宅審議会の事務局となりました。住宅審議会では、公営住宅の建設という安全ネットというところだけでなく、良質な住宅確保に困っており、市外への流出傾向の著しかった中堅所得者層の人たちに対する住宅政策をどう展開していくか、また住宅だけではなく周辺整備を一緒に行い、良好な住環境をどうつくっていくか、などを大きな課題として取り上げ、議論をいただきました。こうしたところに大阪市の住まい・まちづくり政策の第2の源流があるように考えています。
こうした流れの中で、昭和49年には、住環境整備を促進するための方策が示された住宅審議会報告が出され、これを踏まえ、毛馬・大東地区(昭和50年~)での事業に着手し、その後の淀川リバーサイド地区(昭和54年~)、高見地区(昭和60年~)等の面的な居住環境の整備事業へと事業展開が図られました。
<大阪市HOPE計画の立案(昭和61年~)>
居住環境に係るもう一つの潮流となる新たな取り組みとして、HOPEゾーン事業があります。この事業の根拠となる大阪市のHOPE計画の立案は昭和61年です。HOPEとは、英語のHousing with Proper Environmentの頭文字をとったもので、地域固有の環境を活かした住まいづくりを目指した、国土交通省の補助事業(昭和58年創設)のことです。大阪は居住地として非常に長い歴史を持っており、また、それぞれの地域の中でひとびとの多様な文化やくらしが息づいており、これらが現在の大阪の街を創りあげています。このような地域の特性を活かし、ソフト的なものも含めてさまざまな政策を展開していく、そのはしりになったのがこの大阪市HOPE計画です。
このHOPE計画に基づき実施している事業の一つがHOPEゾーン事業です。これは、大阪の街のいくつかのゾーンを、その地域の特性を活かし、住宅地としての魅力を高めていくようなゾーンとして整備していくものです。しかし、実際に事業手法の検討をはじめるとなかなか難しく、10年後の平成11年からやっとスタートすることができました。
HOPEゾーン事業の中で一番初めに取り組んだのが環濠都市の平野郷です。平野は地元のまちづくり活動を主体的に実施している町の一つです。私たちは地元に出向き、一緒になってこの町を修景整備していこうと呼びかけました。しかし、当時は、平野は歴史的にも大事な街なのに、それを行政が何もせず放っておいたという行政に対する不信感の方が強かったのです。1年ぐらいかけて大阪市の若手職員を交えた地元とのワークショップを重ねることで、やっと行政も本気だというのが地元の人たちにも気づいてもらい、議論の中に連帯感が生まれてきました。そして、地元と行政が連携したパートナーシップのまちづくりを展開しましょうということで始まり、今では住宅などの修景整備が数多く実施され、実績として地元の景観にあらわれてきています。HOPEゾーン事業は地元のエネルギーのあるところからどんどん育っていき、平野郷のみならず、住吉大社周辺地区や空堀地区などにも展開していきました。
平成17年からは、マイルドHOPEゾーン事業(通常のHOPEゾーンに比べたら少し広いエリアを対象にする、緩やかな事業)も実施しており、上町台地全体を対象にさまざまな団体が共同テーブルにつき、まちづくり活動を行うとともに、スポット的な修景整備が実施されています。また、最近は船場でHOPEゾーン事業を実施していくための地元協議会が立ち上がり、大阪天満宮や天満天神繁昌亭を中心とした天満地区、東住吉区の田辺地区でも動きはじめています。
<新婚世帯向け家賃補助制度(平成3年~)>
活力あるまちづくりに向けた人口対策として考えたのが新婚世帯に対する家賃補助制度です。
平成3年この時期はバブル経済の影響で、地価が極めて高騰し市内の住宅建設が激減し家賃は上がり、人口もますます減っていくという状況でした。そのときに新婚世帯向け家賃補助という施策提案が出てきたわけです。この政策は、民間住宅に居住する新婚世帯を対象に家賃補助する制度ですが、これを実現するまでに様々な議論がなされました。まず、民間市場を活性化させていくという側面と、一方でせっかく家賃補助をしても家賃がその分上がって補助が市場に吸収されてしまい、結局家主さんを儲けさせるだけで意味がないのではないかといった、「ばらまき」だという議論も随分あったのは事実です。これに対し、私たちは新婚世帯が自由に市場の中で好きな住宅を選択して、ばらばらと市場の中に入っていくとともに、確実に家賃を支払ったということの証明のもとに、実績にもとづいて家賃補助を執行するため、市場の家賃を全体として押し上げることはないという議論を戦わせ、実現させることができたのです。事実、調べてみても、この制度により家賃の上昇をまねいたということはありませんでした。
<住まい情報センターの創設(平成11年~)>
「住まい情報センター」は「住まい・まちづくりセンター」構想として住まい全般に係る情報発信の拠点を造っていこうという議論からはじまりました。当時、市民相談は、住宅に対する相談が群を抜いて多い状況でした。しかし、市民のみなさんはどこに相談していいかわからない。それをワンストップで対応できるようにと、この構想を検討したのです。一方で、先ほどお話した大阪市HOPE計画に基づいて平成元年に刊行した「大阪・都市住宅史」の作成過程において、多くの専門家の方々から、大阪の歴史や文化、居住文化をもっと多くの人に知ってもらおう、そして大阪が「住むまち」として魅力的なストックを随分持っているということを知ってもらうためのミュージアムをつくり、一層の居住魅力の向上、市内居住の促進につなげるべきだという議論が出てきました。こういう背景より、現在の「住まい情報センター」と「住まいのミュージアム」の創設が実現されたのです。
市政改革の中での住まい・まちづくり
<密集住宅市街地整備の戦略的な推進(平成20年~)>
ご承知のように、この数年間、大阪市政は大激動期で、様々な政策をゼロベースで見直していくという時代であります。その中で、「今後の市営住宅のあり方について」(平成17年10月)や、「都市居住魅力の戦略的推進に向けての提言」(平成19年2月)などをいただき、これらに基づいて様々な課題に取り組んできました。
さらに平成19年度には、密集住宅市街地整備の方策について、外部の専門家による委員会を設置して検討をいただき、平成20年2月に、「密集住宅市街地整備の戦略的推進に向けての提言」をいただきました。財政事情の厳しいときに密集市街地整備というようなお金のかかることに乗り出して大丈夫なんですか、という議論もありましたが、お金のない時でも知恵は使えるものです。これからの密集市街地整備も建物の自主更新を活発化させ、木造住宅を防火性の高い建物に更新していく。木造でも準耐火構造にしていくことによって市街地大火を食い止めることができるのです。戦略的かつ重点的な公共投資とさまざまな手法による老朽民間住宅の更新、耐震改修をどう促進していくか、今後の大きな課題です。
今後の住まい・まちづくり政策の方向
最後に、どういうことを考えていくべきかという論点を5点ほどあげます。
<今後の政策5つの方向>
●厳しい社会・経済環境の中で緊急対応的政策と長期的政策をどう構築するか
●地方分権の流れのなかで長期的視点に立って国をリードする住まい・まちづくり政策
●住まいから居住へ、地域再生・都市再生へ広がりを持った視点での政策展開
●住みよい街とするために必要な他分野に係わる政策も居住の側から政策提言
●住まい・まちづくりを担う多くの方々や団体とのネットワークの構築による政策展開
関一市長の時代は人口集中型社会の課題から人口分散をどう図るかという政策でした。しかしこれからの高齢化社会、また、地球環境への配慮といったことを考えると、今は、その逆で都市の中にコンパクトに住むという方向にあり、大阪の街に住むということをもう一度どのように捉え直すのかがいま求められています。数年前より住まいづくりやまちづくりのネットワークがどんどん発展しているが、これは住まい・まちづくりの政策展開に当たり貴重な協力関係となります。こういったネットワークのなかで生まれてきた提言や意見をくみ取り、一緒になってこれからの住まい・まちづくり政策を具体に地域の中で展開していくことがますます重要になるであろうと思っています。
Ⅱ.事例報告
“NPO法人住宅長期保証支援センター”と“NPO法人もく(木)の会”からそれぞれ事例報告がありました。
(1)「住宅長期保証支援センター」(報告者:鈴森 素子)
大阪で全国エリアを目指し活動しています。活動の発端は阪神淡路大震災。この時期、工務店フランチャイズが盛んでしたが、独立系の地域の工務店には情報が行き渡らず、もう1歩、2歩踏み込み、仲間たちがお互い連携してネットワークすることで、工務店にとってもプラスの活動になるのではないか。平成13年9月の国土交通省アクションプログラムを受けて住宅の長寿命化を目指して、工務店と消費者への情報提供をしていこうとNPOを設立しました。
通常、家を建てると2年位で中古になりますが、自分の家となるとそうは思わないでしょう。5年、10年たってもまだ新築だという意識が強いものです。だから、家の持ち主は2年~10年まではほぼ、工務店や買ったハウスメーカーとは接触が少ない。また、業者側も顔つなぎの訪問や挨拶はするけれども、その家のことを考えての点検に煩雑には行かないものです。ここに大きな問題があるのです。家の点検には、点検の能力を持った人が行わないとできない、経費がかかるものです。しかし、お客さんはお金がかかることの意識が薄いのです。この意識の乖離を何とか改善しようと、業者にはできるだけメンテナンスをおこなう意識を持ち、その能力を高めていただく。消費者には、家の維持管理の意識と実行力を持つ。この2つをキーワードに、長期サポートや維持管理の啓発活動、住宅履歴のカルテを作成する「登録住宅制度」などを推進しています。
ホームページ:http://www.hws.or.jp/
(2)「NPO法人もく(木)の会」(報告者:山本 尚子)
平成11年頃「シックハウス」が話題になり、家の中で健康を害する問題が出始め「もっと健康的な住まいづくりをしたい」と女性建築士が集まり、 “健康住宅を考える女性建築士ネットワークもく(木)の会”を発足したのが活動の始まりです。毎月の例会で、いろんな知識がどんどん積み重なっていくものをみんなと共有したい。それから同じ思いのメンバーを募ることで、また情報も広がっていくのではないかと、会員を募集し2007年にNPO法人化しました。
活動理念は、無垢の木がかもし出す心地よさというものを住まいに取り入れたいことで、国産材にこだわった家づくりを提案して実践していく活動を展開しています。国産材にこだわる理由は、木を使わないと山の元気も取り戻せないということ、山が元気になれば地球環境を守ることにつながっていくということ、そして子供たちが成長したときに豊かな自然を残したいという思いからです。
主要メンバーは10名、建築士をはじめ、施工管理技士、インテリアコーディネーター、福祉住環境コーディネーター、家具デザイナー、森林インストラクターなどです。会員は賛助会員と購読会員を合わせますと約70人です。事務局はATCの11階エイジレス工房内にあります。木のぬくもりを体感しに、どうぞお立ち寄りください。
ホームページ:http://www.mokunokai.jp/
●住まいのまちづくりの心意気Part1はこちらから●
※この催しは、平成20年度タイアップ事業の交流会の一環ですが、広く市民に対して参加をよびかけました。北山啓三大阪市副市長(当時 大阪市住まい公社理事長)などまちづくりの達人の講演と交流会を実施しました。
日時 : 2009年2月13日(金)18時00分~21時00分
場所 : 住まい情報センター5階研修室
講演 : 1.基調講演 北山 啓三(大阪市住まい公社理事長)
2.事例紹介
①鈴森 素子(NPO法人住宅長期保証支援センター 専務理事)
②山本 尚子(NPO法人もく(木)の会 理事)
3.フリーディスカッション
パネラー:
北山 啓三(大阪市住まい公社理事長)
鈴森 素子(NPO法人住宅長期保証支援センター 専務理事)
山本 尚子(NPO法人もく(木)の会 理事)
司会進行、及びフリーディスカッション
川幡 祐子(大阪市立住まい情報センター)
—–1.基調講演と2.事例報告の概要は、下記↓をご覧ください—–
Ⅰ.基調講演「住まいづくりの知恵やココロは?」/北山啓三
<講師プロフィール> |
大阪市では、まちの元気と魅力を引き出すため様々な住宅政策に取り組んでいます。独自の住宅施策として新婚家賃補助やHOPEゾーン事業なども行われていますが、どのような姿勢で政策を考え実施されてきたのか、まちを元気にし、住環境を豊かにする仕組みや工夫についてお話がありました。
大阪市の住まい・まちづくり政策の源流
大阪市の住宅行政は、戦前の社会部(福祉関係のセクション)から始まったといわれています。ところが大阪のまちにはもっと古い歴史があります。「住まいのミュージアム」には、江戸期の天保年間の町家を復元した、近世の大阪の住まいの様子がわかる博物館があります。江戸時代、大阪は非常に栄え、瓦葺きの立派な建物が多く、町人による高度な自治が行われ、生活文化も含めて高度な営みをしていました。これが私たちの大阪の原点なのです。
関一市長の住宅政策~近代の大阪の住まい・まちづくり政策の源流~
明治時代に入ると、社会が発展していくと同時に、大量の人が大都市に流れ込んできました。工場の周りにはたくさんの寄宿舎などの建物が無秩序に建てられ、不良住宅の密集地をあちこちに造り出す結果となりました。そこで、なんとかしようと大阪府は明治19年に「長屋建築規則」を、明治42年に「建築取締規則」をそれぞれ制定しました。一方、当時大阪市の助役であった関一市長は、「住み心地よき都市」をどう造るか、いかに環境のよい住宅を造れるか、という基本的な考え方にたった「大阪市街改良法草案」(大正7年)を独自にとりまとめ、それを国に働きかけ、大正8年、「都市計画法」及び「市街地建築物法」の制定へと至りました。関一市長は助役時代に出版した著書「住宅問題と都市計画」(大正12年)で、次のことを述べています。
関一市長による住宅政策への姿勢
「都市計画の目的は我々の住居する都市を『住み心地よき都市』たらしめんとするに在る。故に都市改善の計画は住宅問題と内容実質に於て不可離関係を有すべきである。」
都市政策の生みの親といわれている関一市長は、市街地が膨張していくなかで、区画整理事業にみられるような受益者負担の諸原則も取り入れながら街をつくっていったのです。また、「住宅問題と都市計画」の中では、空家の分析や住宅難の原因、住居負担率が収入に応じてどのように変化しているか、さらに住宅の監督制度、スラム・クリアランスなど、欧米の施策の実情も分析し、本格的な住宅政策について多面的に論述展開しています。こうした意味で近代の大阪の住まい・まちづくり政策の源流は関一にあるといえます。
新たな住まい・まちづくり政策の展開
大阪市が住宅政策を本格的かつ総合的に議論し始めたのは、昭和47年に住宅審議会が設置されてからです。2年後の昭和49年に企画室ができ、住宅審議会の事務局となりました。住宅審議会では、公営住宅の建設という安全ネットというところだけでなく、良質な住宅確保に困っており、市外への流出傾向の著しかった中堅所得者層の人たちに対する住宅政策をどう展開していくか、また住宅だけではなく周辺整備を一緒に行い、良好な住環境をどうつくっていくか、などを大きな課題として取り上げ、議論をいただきました。こうしたところに大阪市の住まい・まちづくり政策の第2の源流があるように考えています。
こうした流れの中で、昭和49年には、住環境整備を促進するための方策が示された住宅審議会報告が出され、これを踏まえ、毛馬・大東地区(昭和50年~)での事業に着手し、その後の淀川リバーサイド地区(昭和54年~)、高見地区(昭和60年~)等の面的な居住環境の整備事業へと事業展開が図られました。
<大阪市HOPE計画の立案(昭和61年~)>
居住環境に係るもう一つの潮流となる新たな取り組みとして、HOPEゾーン事業があります。この事業の根拠となる大阪市のHOPE計画の立案は昭和61年です。HOPEとは、英語のHousing with Proper Environmentの頭文字をとったもので、地域固有の環境を活かした住まいづくりを目指した、国土交通省の補助事業(昭和58年創設)のことです。大阪は居住地として非常に長い歴史を持っており、また、それぞれの地域の中でひとびとの多様な文化やくらしが息づいており、これらが現在の大阪の街を創りあげています。このような地域の特性を活かし、ソフト的なものも含めてさまざまな政策を展開していく、そのはしりになったのがこの大阪市HOPE計画です。
このHOPE計画に基づき実施している事業の一つがHOPEゾーン事業です。これは、大阪の街のいくつかのゾーンを、その地域の特性を活かし、住宅地としての魅力を高めていくようなゾーンとして整備していくものです。しかし、実際に事業手法の検討をはじめるとなかなか難しく、10年後の平成11年からやっとスタートすることができました。
HOPEゾーン事業の中で一番初めに取り組んだのが環濠都市の平野郷です。平野は地元のまちづくり活動を主体的に実施している町の一つです。私たちは地元に出向き、一緒になってこの町を修景整備していこうと呼びかけました。しかし、当時は、平野は歴史的にも大事な街なのに、それを行政が何もせず放っておいたという行政に対する不信感の方が強かったのです。1年ぐらいかけて大阪市の若手職員を交えた地元とのワークショップを重ねることで、やっと行政も本気だというのが地元の人たちにも気づいてもらい、議論の中に連帯感が生まれてきました。そして、地元と行政が連携したパートナーシップのまちづくりを展開しましょうということで始まり、今では住宅などの修景整備が数多く実施され、実績として地元の景観にあらわれてきています。HOPEゾーン事業は地元のエネルギーのあるところからどんどん育っていき、平野郷のみならず、住吉大社周辺地区や空堀地区などにも展開していきました。
平成17年からは、マイルドHOPEゾーン事業(通常のHOPEゾーンに比べたら少し広いエリアを対象にする、緩やかな事業)も実施しており、上町台地全体を対象にさまざまな団体が共同テーブルにつき、まちづくり活動を行うとともに、スポット的な修景整備が実施されています。また、最近は船場でHOPEゾーン事業を実施していくための地元協議会が立ち上がり、大阪天満宮や天満天神繁昌亭を中心とした天満地区、東住吉区の田辺地区でも動きはじめています。
<新婚世帯向け家賃補助制度(平成3年~)>
活力あるまちづくりに向けた人口対策として考えたのが新婚世帯に対する家賃補助制度です。
平成3年この時期はバブル経済の影響で、地価が極めて高騰し市内の住宅建設が激減し家賃は上がり、人口もますます減っていくという状況でした。そのときに新婚世帯向け家賃補助という施策提案が出てきたわけです。この政策は、民間住宅に居住する新婚世帯を対象に家賃補助する制度ですが、これを実現するまでに様々な議論がなされました。まず、民間市場を活性化させていくという側面と、一方でせっかく家賃補助をしても家賃がその分上がって補助が市場に吸収されてしまい、結局家主さんを儲けさせるだけで意味がないのではないかといった、「ばらまき」だという議論も随分あったのは事実です。これに対し、私たちは新婚世帯が自由に市場の中で好きな住宅を選択して、ばらばらと市場の中に入っていくとともに、確実に家賃を支払ったということの証明のもとに、実績にもとづいて家賃補助を執行するため、市場の家賃を全体として押し上げることはないという議論を戦わせ、実現させることができたのです。事実、調べてみても、この制度により家賃の上昇をまねいたということはありませんでした。
<住まい情報センターの創設(平成11年~)>
「住まい情報センター」は「住まい・まちづくりセンター」構想として住まい全般に係る情報発信の拠点を造っていこうという議論からはじまりました。当時、市民相談は、住宅に対する相談が群を抜いて多い状況でした。しかし、市民のみなさんはどこに相談していいかわからない。それをワンストップで対応できるようにと、この構想を検討したのです。一方で、先ほどお話した大阪市HOPE計画に基づいて平成元年に刊行した「大阪・都市住宅史」の作成過程において、多くの専門家の方々から、大阪の歴史や文化、居住文化をもっと多くの人に知ってもらおう、そして大阪が「住むまち」として魅力的なストックを随分持っているということを知ってもらうためのミュージアムをつくり、一層の居住魅力の向上、市内居住の促進につなげるべきだという議論が出てきました。こういう背景より、現在の「住まい情報センター」と「住まいのミュージアム」の創設が実現されたのです。
市政改革の中での住まい・まちづくり
<密集住宅市街地整備の戦略的な推進(平成20年~)>
ご承知のように、この数年間、大阪市政は大激動期で、様々な政策をゼロベースで見直していくという時代であります。その中で、「今後の市営住宅のあり方について」(平成17年10月)や、「都市居住魅力の戦略的推進に向けての提言」(平成19年2月)などをいただき、これらに基づいて様々な課題に取り組んできました。
さらに平成19年度には、密集住宅市街地整備の方策について、外部の専門家による委員会を設置して検討をいただき、平成20年2月に、「密集住宅市街地整備の戦略的推進に向けての提言」をいただきました。財政事情の厳しいときに密集市街地整備というようなお金のかかることに乗り出して大丈夫なんですか、という議論もありましたが、お金のない時でも知恵は使えるものです。これからの密集市街地整備も建物の自主更新を活発化させ、木造住宅を防火性の高い建物に更新していく。木造でも準耐火構造にしていくことによって市街地大火を食い止めることができるのです。戦略的かつ重点的な公共投資とさまざまな手法による老朽民間住宅の更新、耐震改修をどう促進していくか、今後の大きな課題です。
今後の住まい・まちづくり政策の方向
最後に、どういうことを考えていくべきかという論点を5点ほどあげます。
<今後の政策5つの方向>
●厳しい社会・経済環境の中で緊急対応的政策と長期的政策をどう構築するか
●地方分権の流れのなかで長期的視点に立って国をリードする住まい・まちづくり政策
●住まいから居住へ、地域再生・都市再生へ広がりを持った視点での政策展開
●住みよい街とするために必要な他分野に係わる政策も居住の側から政策提言
●住まい・まちづくりを担う多くの方々や団体とのネットワークの構築による政策展開
関一市長の時代は人口集中型社会の課題から人口分散をどう図るかという政策でした。しかしこれからの高齢化社会、また、地球環境への配慮といったことを考えると、今は、その逆で都市の中にコンパクトに住むという方向にあり、大阪の街に住むということをもう一度どのように捉え直すのかがいま求められています。数年前より住まいづくりやまちづくりのネットワークがどんどん発展しているが、これは住まい・まちづくりの政策展開に当たり貴重な協力関係となります。こういったネットワークのなかで生まれてきた提言や意見をくみ取り、一緒になってこれからの住まい・まちづくり政策を具体に地域の中で展開していくことがますます重要になるであろうと思っています。
Ⅱ.事例報告
“NPO法人住宅長期保証支援センター”と“NPO法人もく(木)の会”からそれぞれ事例報告がありました。
(1)「住宅長期保証支援センター」(報告者:鈴森 素子)
大阪で全国エリアを目指し活動しています。活動の発端は阪神淡路大震災。この時期、工務店フランチャイズが盛んでしたが、独立系の地域の工務店には情報が行き渡らず、もう1歩、2歩踏み込み、仲間たちがお互い連携してネットワークすることで、工務店にとってもプラスの活動になるのではないか。平成13年9月の国土交通省アクションプログラムを受けて住宅の長寿命化を目指して、工務店と消費者への情報提供をしていこうとNPOを設立しました。 通常、家を建てると2年位で中古になりますが、自分の家となるとそうは思わないでしょう。5年、10年たってもまだ新築だという意識が強いものです。だから、家の持ち主は2年~10年まではほぼ、工務店や買ったハウスメーカーとは接触が少ない。また、業者側も顔つなぎの訪問や挨拶はするけれども、その家のことを考えての点検に煩雑には行かないものです。ここに大きな問題があるのです。家の点検には、点検の能力を持った人が行わないとできない、経費がかかるものです。しかし、お客さんはお金がかかることの意識が薄いのです。この意識の乖離を何とか改善しようと、業者にはできるだけメンテナンスをおこなう意識を持ち、その能力を高めていただく。消費者には、家の維持管理の意識と実行力を持つ。この2つをキーワードに、長期サポートや維持管理の啓発活動、住宅履歴のカルテを作成する「登録住宅制度」などを推進しています。 ホームページ:http://www.hws.or.jp/ |
(2)「NPO法人もく(木)の会」(報告者:山本 尚子)
平成11年頃「シックハウス」が話題になり、家の中で健康を害する問題が出始め「もっと健康的な住まいづくりをしたい」と女性建築士が集まり、 “健康住宅を考える女性建築士ネットワークもく(木)の会”を発足したのが活動の始まりです。毎月の例会で、いろんな知識がどんどん積み重なっていくものをみんなと共有したい。それから同じ思いのメンバーを募ることで、また情報も広がっていくのではないかと、会員を募集し2007年にNPO法人化しました。
活動理念は、無垢の木がかもし出す心地よさというものを住まいに取り入れたいことで、国産材にこだわった家づくりを提案して実践していく活動を展開しています。国産材にこだわる理由は、木を使わないと山の元気も取り戻せないということ、山が元気になれば地球環境を守ることにつながっていくということ、そして子供たちが成長したときに豊かな自然を残したいという思いからです。
主要メンバーは10名、建築士をはじめ、施工管理技士、インテリアコーディネーター、福祉住環境コーディネーター、家具デザイナー、森林インストラクターなどです。会員は賛助会員と購読会員を合わせますと約70人です。事務局はATCの11階エイジレス工房内にあります。木のぬくもりを体感しに、どうぞお立ち寄りください。
ホームページ:http://www.mokunokai.jp/
●住まいのまちづくりの心意気Part1はこちらから●